- 1980 . 3
-
静岡県で生まれる。
- 1999 . 8
- 短大在学中東京109渋谷ココルルショップ研修生として勤務。
- 2001 . 3
- 109東京他店舗 店長。
- 2005 . 2
- 小学校時代からの親友が乳ガンの再発で若くして亡くなる。
このことをきっかけに、これまで築き上げてきた彼女の心の針が180度逆の方向に振れて、
その欲望の対象はまったく違った目標を指し示すようになった。
- それまでは欲しいものがたくさんあって、化粧とか髪型とか洋服を気にしてばかりでしたが、
そういったことが一気に色あせて見え、外見よりも自分の中身を変えたいと考えるようになりました。
- 2006 . 3
-
一冊の本との出会いにより、発展途上国を見に行きたいと
思うようになり、貯金でバックパッカー世界旅行に。
- 2006 . 9
-
エビオピアの首都ADDIS ABABAのHIVの施設で働く。
収容されている患者数は1,000人以上で医者は1人。
初めて医療に携わる。
- 2007 . 4
- ケニア、タンザニア、ザンビア、マラウィ、モザンビーク、南アフリカ スワジランド、ジンバブエで時々施設や病院を見学させていただいたりお手伝いをしながら世界を周る。
- 2009 . 1
- モザンビーク北部に家を借りて現地のNPOで活動
- 2009 . 10
- 新しいNPO(アシャンテママ)を現地の人を2人雇い開始。
- 1.学校に通った経験もなく貧しさで毎日の食べるものにも困っている女性たちを集めて 病気、衛生、健康、道徳心やモラル等の勉強会をしています。
- 2.学校へ通っていない貧しい子供たちへの授業、政府の学校への登録手続き援助。
- 3.コンドームの配布(コンドームを使うとエイズになると思っている人たちも多いので正しい知識、使い方の指導等)
- 4.病院費の援助( 17円から)
- 5.病院に入院してしまった際の毛布の貸し出し援助
- 6.緊急時の食べ物の援助
- 7.お葬式、病院入院費のお互いの助け合い
- 8.体が不自由だったり寝たきりのため、 協会の勉強小屋まで通えないかたへの 訪問。協会の女性たち同士でお互いの助け合い。
- 9.家族が行方不明になってしまった場合、警察が捜査してくれることはないのでラジオで放送してもらう費用の援助
- 10.戸籍をほとんどの子供たちは持っていないので戸籍取得の手続きの援助。
- 11.経済自立への編み物教室
- 12.経済自立へのマイクロファイナンス
- 13.経済自立への畑
- 2010 . 1
-
勉強小屋を作り、貧しい女性や子供たち向けの勉強会を始める。
- 2010 . 5
- マイクロファイナンスの試みを開始する。
- 2010 . 10
- 協会を援助するためのさんぽの会が日本で始まる。
さんぽの会への参加費が協会に寄付される仕組み。
- 2011 . 2
- 協会がJustgivingに登録される。アシャンテママのページ。
- 2011 . 3
- 協会に参加していた85名の子供が、政府の学校へ通えるようになる。
- 2011 . 6
- 日本から協会へ絵本が届く。
協会への寄付金額と資金使途の説明。
- 2011 . 8
- 朝日新聞にアシャンテママが取り上げられる。
- 2012 . 2
- 読売新聞でさやかさんが記事になる。
- 2012 . 3
- 無戸籍の子供210人の戸籍取得に成功する。
- 2012 . 6
- 読売テレビグッと!地球便に取り上げられる。
- 2012 . 7
- モザンビークの医療学校への入学試験に合格する。
- 日本を出てきてから、無職でただうろうろしている人になったから贅沢は敵だって思って節約しながら旅を続けていましたが、ここで医療の学校に通えたらなぁって考えだしてから、たくさんの睡眠は敵だとも思うようようにして協会の仕事、英語教えるアルバイトの後、夜は1人で勉強していました。
でも、眠気に負けて、まだ教科書1行も読んでないのにそのまま机で眠って、夜中に物音や、寒さで目が覚めて布団にふらふら入って寝ちゃったりの日も多かったですが、それでも勉強机に亡くなった日本の親友の写真、亡くなったエチオピア、モザンビークの子たちの写真を置いていつも眺めながら励まされて少しずつでもと勉強を続けました。
- 2012 . 8
- 医療学校へ通学開始。
- 2014 . 12
- モザンビーク国立医療技術学校卒業
医療技術師国家資格合格
約9年ぶりに日本へ一時帰国
- 2015 . 3
- モザンビークに戻り活動を再開。