野中 久彰
Nonaka Kuniaki

代表取締役社長

インタビュー動画ご紹介

リツアンが目指すのは、派遣するエンジニアとその派遣先そしてリツアンのすべてが笑顔になること

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【僕が派遣会社を設立した理由】
ぼくが派遣会社を設立した理由は、業界の『ぴんはね』の実態につくづく嫌気がさしたから。
もちろん会社を経営して社長になればお金持ちになれるという期待感はありましたが、
派遣社員の生活の向上など考えてもいない会社に嫌気がさしたからです。

ぼくは静岡県の大須賀町という今では掛川市に合併された田舎町でうまれました。
ぼくがうまれた当時、両親はピザやパスタなどをだすレストランを営んでおりました。
40年も近くまえの田舎町でピザやパスタです。コンセプトが斬新すぎて儲かるわけがない。
当然、客足も伸びず、すぐに経営は行き詰り、ぼくが小学生の低学年のころにはお店をただんでしまいました。

それからというもの父親は、トラック運転手、移動販売、工場の期間工、交通誘導の警備員など職を転々。
料理しか知らない不器用な父親です。職場では使いものにならなかったのでしょう、給料は安くいつもお金の工面ばかりしていた記憶があります。

それでも両親は、ぼくを大学まで出させてくれた。
車や土地を売ったりして学費を捻出してくれた。
勉強はからっきしできなかったけれど、なんとか単位を取って卒業、その後は大手のエンジニア系の派遣会社(当時は請負会社)に営業職として入社しました。

社会人になってからは、とにかく営業成績を上げることにだけに専念し必死に企業訪問をした思い出があります。
そのおかけで、入社してからそんなに遠くないころ、ぼくはひとつの営業所を任させるようになりました。

営業所長です。営業所長になれば社内のあらゆるデータをみることができます。
派遣料金も、派遣賃金も、会社の利益も知ることができる。

ただ、知ってしまって唖然とした。

あまりにも派遣社員のエンジニアの給料が安い。
手取りで10万円台前半のエンジニアもいる。
これじゃ生活はできないんじゃないか。

でも、その裏で会社はエンジニアから30万も40万も利益を得ている。

ある日、エンジニアのひとりと飲みに行く機会がありました。
彼には小学生になる息子がいて、子どもの学費や今後の生活のことを考えれば会社を辞めざるを得ないと相談を受けたのです。

ぼくは彼の給料を知っています。
たしかに彼がもらっている給料では生活が厳しいことは容易に想像できます。
でも会社が彼から得ているマージンも知っています。
そのマージンのうちの一部でもいいから彼に還元してあげれば、彼が抱えている今の悩みは解消される。
だから、ぼくは翌日に上司に掛け合ってみました。
でも、まったく相手にされない。それどころか、もっと契約を取れ。
売上をあげろ。利益をあげろ。今期の目標は昨年対比120%だと。

彼から相談を受けているとき、彼と彼の息子が数十年前の父親と自分自身の姿に重なりあい、毎日疲れて帰ってくる父親とそれを子どもながらに心配する自分に思えてきて、自分がこの会社で頑張れば頑張るほど、多くの不幸な家庭を増やすことになる。
自分が知らず知らずのうちに社会に対して罪悪を犯し続けるように思え退職を決意致しました。

リツアンは、とにかくエンジニアの給料にこだわる。
エンジニアと飲みに行って、今年の年収は※※※万円くらいになるという会話を聞くのがたまらなく好きだ。

もちろん仕事は給料の高い安いではない。特にエンジニアのようなクリエイティブな職種は、苦労して1つの作品を世に出したときの充実感は決してお金では買えるものではない。
エンジニアの仕事には、お金以上の価値があることは知っている。

ただ、リツアンはエンジニアを正当に評価をしたい。
リツアンはモノづくりの会社ではない。
仕事を紹介することしかできない派遣会社だ。
エンジニアの彼らに面白い仕事も、夢があるプロジェクトも、やりがいのあるテーマもぼくたちは提供できない。

ぼくたちができることは、ひとつだけ。
エンジニアを正当に評価すること。それしかできない。
だから、リツアンはエンジニアの給料にこだわる。

ちなみに今回ご紹介したエンジニアの彼のその後は、前派遣会社退職→リツアン入社→1年半後に派遣先クライアントへ中途採用。
いまでは3人目が産まれ、職場の近所の山奥に家購入。
地元の消防団にも入りご近所づきあいも忙しいようですが、たまに飲みに誘われます。

パッキャオとの出会い

Illuse by TADAOMI SHIBUYA

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